『ニヒル・アンバウンド』以後のレイ・ブラシエを読む(英語論文講読)
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本講座では、2010年代の英語圏の大陸哲学(≒フランス現代思想)研究における台風の目であった思弁的実在論(speculative realism: SR)の中心人物の一人、哲学者レイ・ブラシエ(Ray Brassier)の主著『ニヒル・アンバウンド』(2007年出版)以後に発表された諸論文のなかからいくつかを選び、英語で読んでいきます。
1.SRの命名者にして批判者
ブラシエは、2007年にロンドン大学ゴールドスミス校で開かれた同名のワークショップの組織者としてSRの命名者に相当する人物であり、また同運動の中心人物カンタン・メイヤスー(Quentin Meillassoux)の著書『有限性の後で』の英訳者でもあることから、一般にはSRの主導者の一人と見なされています。しかし実際のところ彼は、SRの基本的主張への支持をたしかに表明していたと読める主著『ニヒル・アンバウンド』を刊行した2007年以降、あるいは『有限性の後で』の英訳を出版した2008年以降、徐々にこのSRという「運動」から距離をとっていくことになります。
その姿勢が最初にはっきりと見てとれるようになるのは、2011年に発表された「概念と対象(Concepts and Objects)」という論文においてです。この論文の前半部でブラシエは、グレアム・ハーマン(Graham Harman)によって率いられるSRの派生形態であるオブジェクト指向存在論(object-oriented ontology: OOO)が、ブリュノ・ラトゥールの唱えるアクターネットワーク理論をあまりに安易に援用することで、SRを非合理主義的な非還元主義へと貶めつつあることを暗に批判している、と受けとれるような議論を展開しています。この論文の原型は二〇〇九年にブリストルで行われた第二回SRワークショップですでに発表されていたものですが、これが発端となり、SRにおけるブラシエ派とハーマン派の対立はその後さらに強まっていくことになります。
SRの命名者であると同時に最初の批判者でもあったブラシエが、哲学的観点から言ってそもそもこの「運動」に何を期待しており、何に不満を抱いていたのか。そのことを理解するためには、ブラシエがハーマンらに対して明確に論争的な意図をもって書いたテクストを読むよりもむしろ、彼がSRから離れていわばポストSRへの道を模索し始めた時期の、理論的な闘争の痕跡を留めるようなテクストを読んだほうがより役立つであろうと私は考えます。なぜなら、理論とは概念で組み立てられた一種の機械であり、それをロジカルな整合性を備えたものとして構築することは、論争や討論や裁判や選挙でのレトリカルな勝利を得ることよりも、本質的により多くの時間を、したがってより多くの認知的な労働を要求する行為だからです。理論的な戦略は論争的な戦術よりもつねにより強力な、より豊穣な内容を含むものでありえます。
たしかに主著『ニヒル・アンバウンド』の内容がブラシエのSRに対する期待と不満の内容をすでにある程度示してくれてはいます。それは上述の「概念と対象」論文のラトゥール批判のうちにも表れているとおり、究極的には、いかにして現代的な知の条件のもとで哲学的な合理主義を復活させるかという問いへと集約されるような内容です。『ニヒル・アンバウンド』ではこのような新たな合理主義の可能性が、超越論的かつ存在論的な意味での「絶滅」によって条件づけられたものとして構想されていますが、かかる合理主義的思考の実在性の条件に相当するような経験的かつ方法論的な理説は、残念ながら同書では展開されるに至りませんでした。ところでまさに、ブラシエが『ニヒル・アンバウンド』以後に発表した諸論文のうちには、こうした理論的な「肉づけ」の作業の欠落を補うものが見出されるのです。それゆえ本講座では、「『ニヒル・アンバウンド』以後のレイ・ブラシエを読む」ことを通じて、彼が構築しようとした「理論」を、彼の足跡を辿りながら私たちなりのやり方で再構成することが目指されます。またそれによって、ゼロ年代後半の英語圏におけるSRの出現を条件づけていた、たんに外的な事情(=事情通が語りたがるような「文脈」)に留まらない現代大陸哲学の理論的言説に内属する一般的諸問題を炙り出すことが目指されます。そして最終的には、こうした一般的諸問題という地の上にブラシエの「理論」という図を配置することで、ポストSRとしての可能な哲学的思考の輪郭をさまざまに浮かび上がらせること、言い換えれば、私たち自身がそれぞれの名において哲学することの自由を実際に行使/享受することが目指されることになります。
2.「大陸哲学と分析哲学の架橋」という課題
ブラシエの主著『ニヒル・アンバウンド』は、大陸哲学(continental philosophy)の伝統に属する多くの著者たち、特に「フランス現代思想」の哲学者たちのテクストを読解し、それと批判的/批評的に対話するようなかたちで書かれています。しかしそのなかで、第一章で扱われるウィルフリッド・セラーズとポール&パトリシア・チャーチランドの哲学は分析哲学(analytic philosophy)の伝統に属しています。2011年以降のブラシエは『ニヒル・アンバウンド』での自身のセラーズの扱い方が不十分であったと考え、セラーズに始まりロバート・ブランダムへと至る、アメリカの分析哲学におけるいわゆる「ピッツバーグ学派」の系譜への関心を強めていきます。ニヒリズムを通じて新しい合理主義的哲学を作り出そうとしていたブラシエは、ピッツバーグ学派とりわけセラーズの心理的唯名論の哲学との取り組みを続けるにつれて、超越論的自然主義における唯物論的な「意味(meaning)」の問題、という新しいテーマへと思考の焦点を移し始めます。このテーマが最もはっきりと、また本格的に展開されたのが2013年に発表された「唯名論・自然主義・唯物論──セラーズの批判的存在論」においてです。この論文とその元になったいくつかの口頭発表を通じて、ブラシエは専門的なセラーズ研究者ら──つまり完全に分析畑で育った哲学者たち──のコミュニティに迎え入れられることになります。
しかしながらブラシエの問題意識が大陸哲学の文脈から完全に離れてしまうことはありませんでした。セラーズの教え子であるブランダムは分析哲学の世界に初めて本格的にヘーゲル哲学を移入した(もちろん「再構成」を経たうえで)ことで有名な人物ですが、ブラシエの2017年の論文「懐疑と信頼のあいだの弁証法」では、ニーチェ的な系譜学の大域化に抗して、このブランダム流ヘーゲルの局所化された弁証法の可能性が検討されることになります。
超越論的自然主義(transcendental naturalism)とは、世界(自然)を認識するものとしての心が、他の諸部分と同様にこの世界(自然)の一部分であることがいかなる条件のもとで可能であるかを明らかにしようとする立場です。そのような仕方で自然に内在しつつ自然を認識する心のモデルを考えようとするなら、「意味」をめぐる唯物論的な立場からの問いは避けられません。またそのようにして発せられた「意味」への問いは、唯物論的立場から整合的に理解された「心」や「意識」とはどのようなものでありうるかという問いをもすぐさま呼び寄せ、心の計算理論(computational theory of mind)や計算論的神経科学(computational neuroscience)といった現在の脳科学とAI研究につながるような理論的パラダイムへの通路をも開くことになるでしょう。そのようなわけでブラシエの哲学は、彼の友人であり彼と同様にセラーズ/ブランダムの哲学に強い関心を抱いている二人の哲学者レザ・ネガレスタニ(Reza Negarestani)とピーター・ウルフェンデール(Peter Wolfendale)の思想とともに、新合理主義(Neo-rationalism)と呼ばれるグループに分類されることがあります。ブラシエ自身はAIに言及することはほとんどありませんが、ネガレスタニとウルフェンデールは現状の(ディープラーニング以降の)AIについての考察を比較的頻繁に行っています。SRから出発して合理主義への新たな道を模索しながら大陸哲学と分析哲学との融合を図ることが、このようなアクチュアルな問題を論じるための新たな手立てをもたらすだとすれば、それはきわめて刺激的なことだと言わねばなりません。
この講座で読んでいくブラシエの論文は、ブラシエがセラーズ(とブランダム)の哲学への関心を特に深めつつあった時期に書かれたものです。そのため、分析哲学の用語が頻出する場面もありますが、初回の授業で参考図書を紹介するほか、授業中にも講師が適宜解説を挟むため基本的な読解に支障をきたす心配はありません。もちろん大陸哲学の用語に関しても一般的にあまり知られていないものであれば同様の解説を行う予定です。とはいえ、この時期のブラシエが大陸哲学と分析哲学のあいだの溝をあえて飛び越えた読解や理論構築の作業を行っていた動機や意図を知りつつ、そこに構築されていった理論をより深く理解することがこの講座の目的であるからには、受講者には大陸哲学と分析哲学の両伝統の思考法に等しく馴染もうとする積極的な努力を期待したいと思います。
3.「左派」加速主義のハードコアとしての「プロメテウス主義」入門
セラーズを中心に分析哲学の合理主義的な諸手続き・諸方法を取り込む一方で、ブラシエは、カール・マルクスに代表される大陸哲学における左派的な・政治理論的なモメントにも新たな仕方でアプローチすることを試み始めます。そのようなブラシエの姿勢が現れた論文として、「プロメテウス主義とその批判者たち(Prometheanism and its Critics)」という論文を取り上げたいと思います。2010年代に台頭した加速主義(accelerationism)と呼ばれる政治的言説のなかで大きな重要性をもつとされる本論文を読むことで、ブラシエの哲学における合理主義的・自然主義的な方向性が、いかなる政治的帰結を伴うものであるのかを検討します。
4.「哲学的テクストの翻訳」を学ぶ
本講座の目標の一部には、西洋諸言語で書かれた哲学の文献を、日本語に翻訳しつつ読むという経験に伴うさまざまな問題を学ぶこと、および、日本語で書かれた哲学的なテクストが、その背後に西洋諸言語によって紡がれる哲学的ディスクールを伴っていることに対する批判的な意識を育むことが含まれます。そのため、受講者に課されるレジュメ課題では、たんに内容を要約するだけでなく、一部の文章を英語の原文から受講者自身の手で日本語に翻訳してもらうことになります。英語として読めているつもりでも日本語に訳してみたら構文(シンタクス)の把握が曖昧であることが明らかになったり、前後の文との論理的つながりがうまく掴めていないことが判明したりするといったことは決して珍しくありません。和訳の作業は、英語の読解に不安を覚えるひとにとってはもちろん、すでにある程度自信を持って英語を読むことができるようになった人にとっても重要だと言えます。
こうした翻訳の作業を実際に行うことはまた、日本語に訳された海外の哲学書を読む際に、どういった点に気をつけながら読んでいけばよいかを学ぶ、ということにつながります。カントやヘーゲルやハイデガーやデリダのどこからどう読めばよいのか見当もつかないような邦訳書が、誇張でもなんでもなく、原文からの翻訳のプロセスをある程度実地に学んでみた後では、「ああこう訳すしかなかったんだな……」と翻訳者の手つきが訳文から透けて見えてきて、比較的すらすらと(完全にではなく、あくまで比較的、ですが)読み解けるようになるのです。またこうしたことと関連して、哲学的テクストの翻訳における訳語選択の問題が、たんなる趣味の問題ではなく、翻訳全体の内容と形式の首尾一貫性に関わる非常に重要なものであることが理解できるようになります。
5.取り上げる予定の論文
• Brassier, R. (2011) ‘Concepts and Objects’, in Bryant, L.R., Srnicek, N. and Harman, G. (eds.) The Speculative Turn: Continental Materialism and Realism. Melbourne, Australia: re.press, pp. 47-65.
• Brassier, R. (2013) ‘Nominalism, Naturalism, and Materialism: Sellars’ Critical Ontology’, in Bashour, B. and Muller, H.D. (eds.) Contemporary Philosophical Naturalism and its Implications. Abingdon, Oxon: Routledge, pp. 101-114.
• Brassier, R. (2014) ‘Prometheanism and its Critics’, in Mackay, R. and Avanessian, A. (eds.) ACCELERATE: The Accelerationist Reader. Falmouth, Cornwall: Urbanomic, pp. 467-488.
• Brassier, R. (2017) ‘Dialectics Between Suspicion and Trust’, Stasis, 4(2), pp. 98-113.
以下は余裕があれば読みたい論文。
• Brassier, R. (2011) ‘The View from Nowhere’, Identities, Journal for Politics, Gender and Culture, 8(2), pp. 7-23.
• Brassier, R. (2013) ‘That Which Is Not: Philosophy as Entwinement of Truth and Negativity’, Stasis, 1, pp. 174-186.
等々(初回以降の授業で文献リストを配ります)。
6.進め方
第一回の授業で取り上げるConcepts and Objectsのレジュメ発表は私(仲山)が担当します。また第一回授業では、論文の読解に入る前に、SRおよびブラシエの思想に関する簡単な導入講義を行います。第二回以降は、受講者のなかから希望者を募り、各論文のレジュメ発表を担当してもらいます。一人で一本の論文すべてを担当するのは負担が大きいため、論文一本につき二人以上で分けて担当してもらうことになります。進行速度としては、一回の授業につき一本の論文を読み込む予定です。各レジュメの担当範囲で重要な箇所は担当者自身がテクストからの英文和訳を行うことが望ましいです(目安としては五箇所ほど)。授業で取り上げる論文のコピーはDropbox等で配布します。
7.参考図書
• ウィルフリド・セラーズ『経験論と心の哲学』浜野研三訳、岩波書店、2006年;W・S・セラーズ『経験論と心の哲学』神谷慧一郎・土屋純一・中才敏朗訳、勁草書房、2006年。
• ロバート・ブランダム『推論主義序説』斎藤浩文訳、春秋社、2016年。
• レイ・ブラシエ『ニヒル・アンバウンド』(仲山ひふみほか訳、今夏刊行予定);Ray Brassier, Nihil Unbound: Enlightenment and Extinction, Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2007.
• レイ・ブラシエ「脱平準化──フラット存在論批判」佐藤正尚訳、『アーギュメンツ#3』、渋家株式会社、2018年。
レイ・ブラシエ「さまよえる抽象」星野太訳、『現代思想』第47巻8号(2019年6月号)、78−99頁。
回数
4回
定員
15名
価格
100,000円(学生30,000円)
日程
9月16日、9月23日、9月30日、10月7日
曜日
土曜日
時間
13:00ー18:00(15分の休憩を2回挟む予定)
選抜方法
作文(クラスの志望動機800字程度)※このクラスでは応募者が定員を超えた場合のみ作文の提出を求めます
開講形式
このクラスは対面のみで行いオンライン受講はできません
※8月31日までに申込者が5名に満たなかった場合、このクラスは開講しません
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