劇場は可能か シーズン0

「劇場は可能か?」4つの質問

 
1)劇場を経済的に成り立たせることは可能か?
舞台芸術は、非効率で一般的な経済の原理に逆行するかのようです。社会全体で機械化・AI化による人件費圧縮、遠隔通信技術による移動費の節減等の効率化が極限まで推し進められ、環境への配慮が重視される中、稽古期間も含め人件費がかさみ、高度な技術職が大勢必要な劇場は、これから経済的に成り立つのでしょうか。
 
2)「公共劇場」は可能か?
演劇の公共性を語る様々な理念(批評性・共同体の形成・多様性の経験・対話の場など)も、それが演劇でしかできないのか、本当にそれを公共が担う必要があるのか疑問視される昨今。個人の趣味なら自腹でといわれる社会で、劇場が公共体によって担われるとしたら、どのように説明責任が果たせるとお考えですか。
また、逆に行政の論理を内面化してしまうと、社会の仕組み自体を批判しにくくなってつまらなくなるリスクもありますが、いかにしてつまらなくせずに芸術家や企画・運営スタッフの人件費に公金を使うことを正当化できるとお考えでしょうか?
 
3)常設屋内劇場は舞台芸術にとって必要か?
20世紀後半の現代演劇や現代芸術は、建物を飛び出した高度な表現を模索してきました。野外芸術祭が一般化し、様々な空きスペースの有効活用やリノベーションが流行る中、常設屋内劇場は本当に必要なのでしょうか?劇場建築に基づかない芸術の基盤がむしろ考えられるべきではないか、と問われたら何と答えますか。
 
4)非西洋モデルの「劇場」は可能か?
「劇場」のような仕組みは、世界各地にあります。西洋中心の世界が終わりを告げていく中、西洋由来のシアターを建てるより、それぞれの地域のローカルな場のモデルを生かしていくほうが合理的だし正しいのではないでしょうか?その場合、どのようなやり方が具体的にあり得るとお考えですか。
また、各地域の場がバラバラの場合、他の場との関係はなくなってしまうことになりそうです。西洋モデルの「劇場」が担ってきた地域を超えた交流や対話の機能は非西洋モデルの「劇場」もひきつげるでしょうか。引き継ぐとしたらどのようにして?
 

企画者より挨拶

 
岸井大輔
そもそも「劇場は可能か?」という問いが立てられるべきではないでしょうか?
ヨーロッパの伝統である「見る場所としての劇場」という理念はずっと前から批判や乗り越えの対象です。オルタナティヴとして求められた非西洋(?)は、西洋型の劇場、文化政策をとりいれ、むしろその範例になりつつある。ということは、滅びつつある近代人のたまり場が劇場だということです。
似た場所が、場末のスナックでしょう。いまや舞台芸術あるいはコンテンポラリーアートは、場末のスナックでの放談を越えるものではないのではないでしょうか。いや、自分たちが場末であるとどこか気が付いているおじさんたちは可憐だと感じますが、自分たちこそ正義でスタンダードでオーソリティで来るべき存在だと信じている劇場に集まっている人々は醜悪にさえ思えます。
劇場という幻想を捨てるべきなのか(現代芸術はそのトレーニングは十分したので容易でさえあるでしょう)、劇場がバージョンアップするべきなのか、という話を徹底的にしておきたいのです。それは議会制とか公共のありかたと同じところで問われていることです。オリンピックが終わり、コロナを経たいまこそちゃんとしておくべきことではないか。このような疑念は演劇だけでなく文化政策の現場に広く薄く広がっているように思います。
様々な機会に上記のような主張をしていたところ、まず、SPACと東京芸術祭で働くドラマトゥルク・演劇研究者の横山義志さんが応答してくれました。ありがたいことです。ということで、シーズン0とし、2人でいろいろな人にインタビューすることにしました。空気を読む能力に著しくかけた亜インテリの2人で、重要な実践者にインタビューしていく企画です。
実践に基づき応答して下さりそうな方に声を掛けました。必要な基礎研究だと思います。支援で購入いただけると嬉しいです。寄付も募っております。よろしくお願いします。
 
横山義志
私ははじめ、人の役に立つ仕事がしたくて、お医者さんになりたいと思っていました。でも劇場に通うようになってから、こっちの方がちょっとは役に立てるんじゃないかという気がしてきて、今も劇場で働いています。
2020年、コロナ禍によって世界中の劇場が一度に扉を閉じました。でも、コロナ禍が収束すれば劇場に平穏な日常が戻ってくる、というわけでもなさそうです。奇しくも2020年は、アジア経済の重みが世界経済の半分を越えた年でもありました。劇作家の岸井大輔さんは、「私たちアジア人にとって…シアターの建設と舞台化こそ近代化であり、植民地化である」とおっしゃっていました(「ポストコンテンポラリーアート マニフェスト」)。2020年代は世界劇場史にとって、節目の時代となるでしょう。アジアのなかでも重要な劇場興行の歴史を持つ日本にとっては、自らの歴史と折り合いをつけ、近隣の実践も参照しながら、新たなモデルを創造する好機ともなりうるはずです。
劇場という制度については、だいぶ前から危機が語られつづけてきました。今、その危機はいよいよ深化し、複雑化しています。これまでの20数年間、自分は劇場というものがあったおかげで生きていくことができました。自分の生にとって不可欠だった場を、次の世代にはどのような形で引き継いでいけばよいのか。「劇場法」制定10年を機に、これまでさまざまな形で「劇場」に取り組んでこられた方々と一緒に、じっくり考えてみたいと思います。
(ちなみにこの企画には個人として参加していますので、ここで表明する意見は所属組織の見解とは異なる場合があります。)